子育て支援

●えほん館の最近の記事

読み聞かせボランティア

新学期がはじまり、毎週月曜日のえほん館の時間も始まります。

園児たちは絵本を2冊借りて帰るのですが、そのまえにえほん館で、保護者ボランティアさんと職員による絵本の読み聞かせや詩の群読の時間があります。ボランティアはお母さんが中心ですが、小学校で運動会などがあるとその代休に思わぬお客さんが来てくれます。

こないだまで幼稚園でよみきかせを聞く方だった人が、今度は読み手に回ったりするのです。

 

 

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堂々たるものです。

 

こちらはなんと、

 

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父娘での共演。

見てください、この表情。お姉ちゃんの、ちょっと大人びた感じさえする落ち付いた読み方、お父さんのユーモラスで声の通る読み方、そして読み方のうまさにもまして、二人の醸し出すここちよい空気がえほん館に満ちているのが感じとれるでしょ?

大型絵本を用意してくれているだけでも嬉しいのに、当初はお姉ちゃんと弟くんが読むための練習をしてくれていたのだそう。ところが弟くんが体調を崩されて、急遽お父さんの出番となりました。

そりゃあ、遠くない将来、年頃の娘と父親の関係は難しくなるかもしれません。でも、こういう体験を積み重ねることで、大丈夫な土台が築かれていくことでしょう。ほんと、ほほえましいですね。

 

どうぞ、読み聞かせにご参加ください。とにかく園児たちが喜びます。飛び入りもOKですよ。

えほん館の玄関には

これはえほん館の玄関。

この絵が誰の絵かわかるかなー?

 

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はい。今や売れっ子の長谷川義史さんの絵です。

 

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米子のお風呂屋さんの壁に絵を描くだけあって、ダイナミック!

 

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もちろん、直筆。

「びさいえほん館」には長谷川さんの絵本もたくさん入っています。どうぞ、絵本を借りにいらしてください。

 

すみれになるっていうことは

『おおきくなるっていうことは』という絵本があります(中川ひろたか・文 村上康成・絵、童心社)

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大きくなるっていうことは「ようふくがちいさくなるってこと」からはじまり、新しい歯が生える、高い所に登れる、泣かなくなる等々のことが次々にあげられ、それが「おめでとう」と祝福されるというお話です。

大きくなるという、ちょっと抽象的なことですが、びさいでは学年が変わるという形で具体化します。たとえば「(年長)すみれになる」。

「すみれになるっていうことは」いろんな課題を担うようになることです。課題と言うと重そうですが、大人が思う課題もこどもにとっては特権として優越感になることがあります。びさいは異年齢縦割り保育ではなく、学年暦でクラス編成しています。ですから学年を意識して「おおきくなるっていうこと」を自覚するというのは、本園のカリキュラムにもなっていて、職員も意識しています。和太鼓、鼓笛隊演奏、囲碁などは年長児になってすることで、年少児たちはそれに憧れを抱いているのは知っています。しかし、職員にとって意外なところで、それを子どもたち自身が感じているというのを時折気づかされます。

この春、年長児になったM子が、家に帰って自慢そうに母親に言ったそうです。

「ねえ、Mちゃん今日そうじしたんだ。どこだと思う?」

「んー・・・どこ?」

「あのね、すごいよ」

「どこ?!」

「本堂!」

本堂の段々を雑巾がけするのはすみれの仕事です。小学生にぐらいになるといやになってくる「お手伝い」、大人もだるくなってくる「労働」それは子どもにとって特権でさえあるのです。

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その頃、他の保護者さんから聞いた話です。

お母さんが息子さんにたずねました。

「すみれになって何が楽しみ?」

「本堂掃除!」

「仕事」が「自己有能感」に結びつくというのは当たり前のはずのことなのですが、「本堂掃除」が年長組を特徴づけるもののなかで、それほど園児たちに重きを置かれていることを知ってびっくりしたのでありました。


 

びさいの読書活動

美哉幼稚園の読書活動について以前、境港市の読書活動推進大会で発表したものです。「以前」が、ちょっと前のつもりが、もう何年も前のことになってしまっていることに驚きつつ。

 

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追悼 モーリス・センダック

少し前のことになりますが、5月8日、モーリスセンダック氏が亡くなりました。

「かいじゅうたちのいるところ」と言えば誰もが知っている、あの本の著者です。

「食べちゃいたいほど、おまえがすきなんだ」というのはかいじゅうが発した言葉ですが、「すき」とは一つになろうとする力、そのもっとも強いものが、「食べる、食べられる」ということなんだなあと、食育のことを考えてる時に、思わされました。

「まよなかのだいどころ」「まどのそとのそのまたむこう」「こぐまのくまくん」「くまくんのおともだち」「かえってきたおとうさん」「うさぎさん てつだってほしいの」「かいじゅうたちのいるところ」「ねずみとくじら」がえほん館にありますので、どうぞ借りて読んでみてください。よみきかせをすると、子どもたちの集中ぶりに、絵本の力というものを感じることのできる絵本ばかりです。彼はほんと、魔術師です。

異次元空間を描きだしそれをするりと抜けて行くドライヴ感は絶品です。

 

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「あまりにもしばしば見過ごされているのは子どもたちがごく幼いうちからすでに自分を引き裂く感情とはおなじみであるということ、恐怖と不安は彼らの日常生活の本質的な一部であるということ、彼らは常に全力を尽くして欲求不満と戦っているのだということです。そして、子どもたちがそれらから解放されるのは、空想によってなのです。」

こんなふうに子どもを洞察できるひとだから、その作品は子どもの魂をつかんで離さないのでしょうね。

地上の大きな星がまたひとつ消え、天空の星になりました。

2011年9月12日は十五夜

十五夜のきのう、えほんのよみきかせの時間がありました


満月の光顔巍々と照りわたり  福田 蓼汀

 

誕生会でも紹介したこの句を群読し、続くボランティアのお母さんは、下の子を抱きながらの読み聞かせ。でも、時々あるんです。「大変」って思いますか?そうかもしれませんが、この姿、お母さんの素敵な姿だと思うんです。子どもにとっても親にとってもいい時間のハズ!


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そして次のお母さんは何やらボールを取り出して

 

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これはなんと月と地球。そしてお話は「かぐや姫」

更に、

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竹で作られた笛から「うさぎうさぎ何見て跳ねる 十五夜お月さま見て跳ねる」が奏でられ、

月と雲の情景を自然と思い浮かべてしまうような音色に子どもたちも固唾をのんで聞き入ってしまいます。

次いで実習生の石倉先生はマイケルグレイニエツの「お月さまってどんなあじ?」を朗読。

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翌日、お月見をした人?と園児に尋ねると7割がた手が上がる。お団子食べた人?との質問には5割ほどの手が上がる。さすが、びさいのお母さんお父さん、お月見を楽しまれたようです。

そして、お月さまの絵を描いた子どもたちも・・・これはまた紹介しましょう。

 

お父さんの読み聞かせ

毎週月曜日はえほん館に全園児が集まっての読み聞かせ。

指折り数えながら俳句の群読をして、それから、職員が読むこともありますが、中心は保護者ボランティアによる読み聞かせ。

今日も楽しそうに聞いていますね。

 

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パンをこねこねしたりころころしたりして聞いています。

園児たちに笑顔をもたらしている読み手はというと・・・・・・

 

 

 

 

 

 

ジャーン!

お父さん!

 

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お父さんの読みきかせはひさしぶりだなあ。おうちでは、たくさんのおやぢたちが、子どもが寝る前の読み聞かせをしているという情報を子どもからキャッチしておりますが、えほん館で読んでくれるとなると話はちょっとちがうのでしょう。

どの角度にしても「みえなーい」の子どもの声に、

大型絵本を軽々と持ち上げちゃうのはいかにもお父さん。

お母さんともおばあちゃんとも違う、お父さんのダイナミックなよみきかせを、子どもたちは愉しんだのでした。

 

 

 

えんちょうせんせいのえほん大好き!④

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子どもたちも大好きなえほん、「バーバパパ」シリーズ。フランス語で「わた菓子」をも意味するらしく、子どもが好きなはずですね。「わた菓子」のみならず「わた」も子どもは大好きで、わた摘みをしたあと子どもたちは、かならずそのわたを手に駆け出しておともだちに見せに行くのです。わたは雲みたい。雲は、子どもが一度は乗ってみたいと夢見るもの。雲は変幻自在ですが、バーバも体の形を自由に変えられるのです。それが実に魅力的で、あこがれるなあ。

かわいらしく楽しい話の背後に、フランス的な思想の背骨がしっかりと一本通っている感じです。バーバパパのシリーズを読むことで養われるのは、エコ・動物愛護・戦わないという姿勢etc.日本の子どもたちは、戦ってやっつけるというテレビ番組が余りに多すぎて、そのことが普通になってしまっています。今や女の子のアニメでさえ主人公は戦士なのです。

ぼくにとってあこがれの父親で理想の夫はバーバパパです。バーバの七人の子どもたちは、スポーツ好き、音楽好き、芸術家、おしゃれさん、動物好き、読書家、発明家という多様ぶり。主人公が子どもで芸術家という日本の絵本やアニメを思い浮かべることができるでしょうか。バーバは色が一人ひとり違っていて、デザイン的にもかわいくすてきです。

豊かさとは多様性です。「物は豊かになり心が貧しくなった」という発想での「豊かさ」イメージは、量の多さ。でも、多様性とは質の多さ。違いを認めるということ。多様性を認める心はもつのは簡単ではなくて、でもそんな心が身につくことが、人としての成熟だろうなと思うのです。

 

 

 

えんちょうせんせいの えほん大好き!③

「松谷みよ子 あかちゃんの本」というシリーズの一冊、『おふろで ちゃぷちゃぷ』。「松谷みよ子」と「いわさきちひろ」の名前がならんで、悪い本のわけがない。瀬川康男のアバンギャルドな絵の『いいおかお』もこのシリーズの名作です。

 

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いわさきちひろさんの絵を見たことのない人はいないでしょうから、すべての説明は蛇足になりそうですが、あの、降りたての粉雪のような、今にも消えてしまいそうな絵、あわく、はかなく、それなのにあたたかみのある絵!(その、おなじはかない絵が、お話によっては非常に冷たくもなる!)

こどもがあひるによばれて服をぬいでお風呂に入るというものですが、こどもが服を脱ぐときのもどかしさ愛らしさがあのあわい線で表現できるなんて。それと、裸のかわいさ、きれいさ。子どもの裸を描ききれるけがれのない絵。

言葉のリズムがいいのは言うまでもありません。お風呂に入るのをシブる子どもは多いですが、この絵本が楽しくお風呂へいざなってくれることでしょう。

 

 

佐野洋子さん訃報

佐野洋子さんが亡くなりました。
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100万回生きたねこ」はあまりにも有名であり、あまりにもファンの多い作品ですが、その他、絵本もたくさん、エッセイもたくさん書いておられます。

書かれるものはお行儀のいいもの、安心して読んでいられるもの、といったたぐいのものではなく、逆にそこが魅力の作家さんであります。それは著作のタイトルをみればうかがい知れます。

『がんばりません』『友だちは無駄である』(えほん館にあり)『神も仏もありませぬ』『役に立たない日々』『わたしはそうは思わない』『問題があります』等々

たしかに絵本にしても哲学的です。哲学的ということはよく考えてあるということで、よく考えるとそうそう単純素朴ぢゃいられなくなるということです。実際、かの「猫」の話もきわめて哲学的、宗教的です。

死んだら終わりということは今や常識になっていますが、その反動のように、生まれ変わりが「輪廻」としていいことのように言われる節がある昨今です。かの絵本もこのテーマがメインになっていることは、タイトルを見ればわかります。100万回生きたということは100万回死んで生まれ変わったということです。

ただ、この人は、仏教的な素養がある気がしてなりません。仏教書を読んでるかも知れませんが、むしろ仏教の知識や信仰など一切ないというほうが興味深い。ものごとを深く洞察することによって、仏教が明らかにした真理の領域に入り込んだのだということになるからです。

「輪廻」がいいこととしては描かれていない。むしろそれが立ち切られることがこの上なく意味深いことであり、それがこの物語の終わりでもあります。輪廻という飽き飽きするとめどなさを断ち切るのが解脱、つまりブッダになるというのが、仏教のオーソドクスです。

不生.jpgこの本といい対をなしていると感じられもし、大変驚嘆した「うまれたきた子ども」という絵本があります。「えほん館」での読み聞かせで、ある保護者ボランティアさんが読まれて知った本ですが、この主人公はまだ生まれていないのです。こういう発想ができるということだけで驚きです。生死のあとに、それを超えて永遠の生命を思い描くということはよくある発想ですし(たとえば「葉っぱのフレディ」)、分かりやすい。なぜなら私たちはすでに生まれてきているからです。ところが、まだ生まれていない私なんて、想像することも困難です。この人が仏教的センスがあると感じるのはまさにここです。

私どもの生まれたり消えたりする現実=<生滅>に対し、仏教はその底に<不生不滅>を見出すのです。「不滅」はわかりやすいと言いましたが、それだけでなく「不生」がくっついてる。「不生」つまり生まれていないということです。私も、私がいる世界もすでに生まれてしまっているのに、その事実を巻き戻してしまうようなところからものごとをとらえるのですから、仏教のもつ情け容赦ないところ、だからこそ徹底的なところ、ですね。