未就園児さんの交流会でのこと。ちゅうりっぷ組のお部屋で歌ったり踊ったりしました。園児たちがぼくの足にまとわりつき、その数が増え押されて倒れそうになり、このまま倒れたら危ないと思い体をよじりながらたおれたのですが、一人の園児さんの女の子がぼくの横腹の下敷きに。
その子は泣きはしたもののコブなどもできず、お母さんもおられビックリされたと思いますが、大丈夫ですといってくださっていました。その日は担任に異状がないか注意するように言い、結果的には元気でしたという報告をもらって降園に。
翌日、登園してきたお母さんに「Aちゃんは大丈夫でしたか」と聞くと「園長先生は大丈夫でしたか」といわれ、続けて以下のように話されました。
「昨日よる、家でA(子どもさんの名前)が〈園長先生は大丈夫だった?〉って聞くんです。それを聞いて恥ずかしくなりました。自分の子どものことばっかりしか考えられなくて。」
まず、Aちゃんの思いやりに感動しました。自分は下敷きになっていながら、乗ってきた相手を思いやることができるなんて! 次いで、それを聞いたお母さんが「恥ずかしい」と感じられたということに、これまた感心することしきり。
自己主張が尊ばれる現代にあっても、「恥ずかしい」というのは美しい心であり、思い上がりがちな人間という生き物にとって、尊いあり方だと思われるのです。