ちゃぼのシロちゃんが、老衰で亡くなった。職員間でつい先日もそろそろではないか、と話をしていた矢先だった。その日の寒さが後押しをしたのかもしれない。
遺体を見守るような位置に座ってたたずんでいる、同室のうさぎが印象的だった。とむらいといえば言いすぎだろうが、なにがしかの変化を感じての所作であろう。
この度も、各部屋に遺体が回って、各担任が子どもたちに話をし、子どもたちが、冷たくなった彼女の体をなでたり、花を手向けたりした。お帰りときには死のことがテーマに含まれている絵本を読み聞かせした。
なくなったことはわかっているはずであっても、数日後、小屋をあけてチャボの姿がないことに驚いてしまう。
今年度第一回目のえほん館に時間に紹介した俳句が連想される。
あをあをと空を残して蝶分かれ 大野林火
蝶に目を奪われていた時は背景として目だたなかった空が、蝶が目の前から姿を消したとたん、おしよせてくる。
死んだら終わりだなんてとんでもない。亡くなってから見えてくるものがある。喪って初めて気づくものがある。