年長5歳児すみれ組。
昨年の保護者さんがふらっと園に来てくれて、世間話後に「先生のブログ今でも楽しみにしてるけんな」という言葉を残して帰っていかれました。・・・
日々子どもたちの遊びを追っていくと、様々なスタイルがあります。
びさいでオーソドックスなのは遊びを《選んで→遊んで→片付ける》という自己完結型の遊び。遊びを選ぶというのはポイントです。選ぶということは、自分で遊びの目的やめあてを決めるということです。これはとてもすごいことだと思います。
こういう遊びのスタイルは満1歳児から年長に至るまで続きます。
小学校では勉強の目的やめあてを誰が決めるのでしょうか?びさいでは子どもたちが決めています。
自分で選ぶからこそ探究心がわいてきます。時に自分で、時に仲間と、遊びの中で失敗や達成を体験します。これを繰り返すことで育つもの。「もっと知りたい もっとうまくなりたい ではどうすればいいかな」と自ら学び、考え、工夫する態度や姿勢です。
ひとつの遊びのはじまりを追ってみます。
時期は9月の中頃。ひとりの子どもが「新聞で家をつくる」計画を図鑑から思いつきました。これが遊びのはじまりです。
思いついて「設計図」をつくりますが、自分の力だけではどうにもならないことに気づきます。
そこで興味を持ってくれそうな仲間に自分の思いをこめた設計図を持って説明をします。
「ほんじゃなくてぼくのせっけいずをみてほしいんだけど・・・」
「でもこういうことでしょ!」というやりとりがおもしろい。
「やってみようか!」「けっこうざいりょういるね!」
「なにしとるだ?」という方言とともに数人の仲間が集まりました。
この日から少しずつ材料を持ち寄る仲間たち。
長さをそろえらり、硬さを維持するのにはコツがあるらしく、
「こうするとやりやすい」とか「さいしょをしっかりおるんだがん」というアイディアが飛び交います。
「あのー先生はひもをじゅんびするってことね」と近くで遊びを観察していた先生にも仕事をあたえてくれました。
4日ほどかけて、必要な本数の新聞紙の柱を完成させた子どもたち。他の子どもたちからは「新聞クラブ」と呼ばれるようになりました。
何となく完成のイメージをつかんだ写真です。
すでにイメージはできているので、あれやこれや言いながら組み立てます。
少し傾きがありますが、驀進して組み立てを続けます。
このときの会話は「このぼう やおいぞ(やわらかいぞ)」「じゃあもってて!」
最後の部品をはめ込んで、ほねぐみ完成へのカウントダウンがはじまります。「5_4_3_2_1」
悲鳴のような、絶望のような音とともに、崩れ倒れる骨組み。このような失敗は何日か続き、計5回の倒壊を体験した子どもたち。
さすがに5回目の失敗の際には「先生の選んだひもがいけんへん?」と軽い責任転嫁をされました。その気持ちわかるけど、先生は相変わらず答えは言いません。そして一応別の種類のひもをこっそり準備しておきました。
5回の失敗というのは子どもたちにとって臨界点だったのか、しばらく「新聞クラブ」はこの遊びをやめました。
何日かたちました。倒壊した部品はシートに包まれて部屋の片隅に置いてあります。でも新聞クラブは帰ってきません。
きっとべつの遊びが楽しくなったのでしょう。
それから幾日後、突然メンバーが「ああああああああああっ」という雄叫びとともに帰ってきました。
ぶつぶつ言っています。「かたさだわ!かたさ」「だれかー!こうこくでかたいぼう100本作って!!!」
100という数は概念的にも魅力的だったらしく、旧仲間、新規の仲間が集まってきました。
そうです。別の遊びをしているときに、補強というアイディアを思いついたようです。補強作業は時間がかかり、数日かけて、骨組みを補強していました。
そして久しぶりに骨組みを組終えて、後は手を離すだけ。5_4_3_2_1_
メンバーの頭に直撃です・・・・しかし今回は感触が違うらしく、「かたいわ!オルガンにつければたつへん?」とのこと。
こうしてオルガンに固定して骨組みは立ちました。細部をみてみると・・・
補強作戦のあとが随所にみてとれます。
外装はのりをつかって、重ねて貼って、のりをつかって、重ねて貼って。
「あした9時までにあつまろうよ」なんて約束を交わしながらつくっています。
「うみっぽくしよう」「ぜんぶ?」「うん」「いっぱいかこう」「うん」
トータル1ヶ月ほどかけて完成した新聞の家。創るのに完全燃焼したのか、一番先に入る人を譲り合っていました。
その後1週間ちょっとこのまま残し、中でごろごろしたり、話したり特別な場所になりました。
そして、散歩に出かけたある日。散歩から戻ると、小さいクラスの子が新聞ハウスに興味を持って中で遊んだようで、少し壊れていました。些細な破損は全壊をまねき、ありとあらゆる方法で再建築しようとした新聞クラブですが、新聞の家は崩壊しました。
遊びを始めたリーダーと補強を思いついた子たちは口々に、「小さい子のしたことなら許そう」「うん」
といってチームは解散していきました。許して終わりを迎えるというまさかの結末。親鸞様みたいだなあ。
遊びとはしなくなったから終わりなのではいようです。できないことに直面したときに別の遊びで力をためたり、ほかの遊びからアイディアが思いついたり。遊ばなくなった期間は次の一歩を踏み出すためのエネルギーを溜めるものだったのかもしれません。遊びの深さを改めて考えるきっかけとなった、新聞家づくりでした。
今回ブログを作るきっかけをくれた元保護者のoさん、ありがとうございました。