今日、うさぎの「お父さん」がなくなりました。
もうすぐ10歳になるところでした。かわいがってくれたみなさん、心配してくださったみなさまに、ご報告とお礼を申し上げます。
お父さんはとっても元気で、たくさんの子や孫ができました。いっとき、子どもがよく生まれて、いろんなひとにひきとってもらったことがあります。どの子の父親もみなこの「お父さん」でした。本園で飼っていた子や孫のうさぎさんもみな亡くなり、いよいよ最後に、おとうさんが今日の、おそらく明け方にかけて亡くなりました。
最後の1ヶ月ほどは玄関にいたので子どもたちもよく気にかけていてくれたようです。保護者の方に「園長先生!」とよばれてかけつけると、死んだように動かずに寝ていたのが1週間ほどまえ。少しづつ、でも着実に体の力を失って行きはねること、体を支えること、バランスをとること、水を飲むこと、ひとつひとつのことができなくなっていきました。先週までよく食べていましたが、さすがに食べる量も減った昨日でした。老いて死んでいくということを如実に見せてくれました。それは人でも変わりはないのだと、日曜日にひなたぼっこをしている姿をみながら、思われたのでした。
体をきれいにしてもらって気持ちよさそうに前肢をなめていた土曜日
子どもたち全員に集まってもらって、お父さんがなくなったことを、その姿と共に伝えました。立って歩くことを獲得することの難しさ、成長して行くこと、老いて行くこと、その果てに死んで行くこと、つまり死んで行くことのたいへんさを伝えました。死んでしまった体をしっかりみてもらい、花を手向けてもらい、触って何かを感じてもらい、その本物の力が、その体験の力が、軽々しく「死んだ」と口走ることが普通の生活を、変えてくれないかと思ってのことです。大人も子どもも、死体に触れたり見たりする体験をしないため映像化された死のイメージしか持たず、死どころか日常的にテレビやネットの映像に映ってるものが「本物」だと錯覚している。そんな時代には、どうしたって本物にふれて考える経験が必要なのです。ひとりでも、何かを感じて考えてくれる人が出てくれればと切に願うのです。