綿からほんとに服ができるだ?
園児からこんな問いが発せられました。
これまでに、年長組さんは綿の種を植えました。綿から糸ができて、みなが着ている服になるという話も聞きました。
植えた綿の収穫もしました。
棉の実のふわふわ部分から種を取り出す綿繰りもしました。
フェスティバルでは綿農家の役もあります。その上で、はじめにあげた問いが出てきたのでした。 たしかに、棉から種がとれるところまでは経験上はっきりしているが、そこから先はリアリティーがない。経験がないから当然である。そして劇中に言う子どもたちの言葉のリアリティーも体験に裏打ちされることによって出てくる。 かの問いには、体験でもって答えねばならない。 そこで、弓浜がすり伝承館に来ました。 棉から糸が紡ぎだされる様子を目の当たりにし、驚きました。まるで魔法のよう!
体験もさせてもらいました。切れてもまたつながる。まるで手品のよう! おばあさんと子どもがいる風景っていいものです。それだけで「伝承」を感じさせます。そして背中が糸車のような弧を描いていて、その器械の彼女との、身体上にあらわれるほどの深い関係を見せてもらいました。 機織りの部屋の入る子どもたちは思わず歓声を上げていました。「鶴の恩返しだ」という声も上がりました。 言葉や表現のもとには体験がある。そしてなければならない。 体験するとは本物と関わるということです。 いやあ、今回もいい体験でした。棉の変身そして冬の海。 帰りのバスではいくつもの句が生まれていました。 ふわふわの綿がきれいでわらっちゃう 冬の海 色が変わって みどりだね 貝殻や 虹がうつって不思議だな 付記:この時の記事が2011年12月9日の日本海新聞に掲載されています。
綿が糸になるとこもみたし、鍬もふったし、おさかな探検隊もしたし、あと劇で出てくるのは・・・海でもいこうか。行くぅ―!!!!
思わず駆けだすこどもたち。でも、先頭を走ってるのはあの人です。
開放感ではしゃぎ、波とたわむれ、
小さく美しい宝をみつけ
クイズに導かれて冬の海をよくよく見て
津波というものに思いをひそめる時、いつになく深刻な表情をみせて。