『おおきくなるっていうことは』という絵本があります(中川ひろたか・文 村上康成・絵、童心社)
大きくなるっていうことは「ようふくがちいさくなるってこと」からはじまり、新しい歯が生える、高い所に登れる、泣かなくなる等々のことが次々にあげられ、それが「おめでとう」と祝福されるというお話です。
大きくなるという、ちょっと抽象的なことですが、びさいでは学年が変わるという形で具体化します。たとえば「(年長)すみれになる」。
「すみれになるっていうことは」いろんな課題を担うようになることです。課題と言うと重そうですが、大人が思う課題もこどもにとっては特権として優越感になることがあります。びさいは異年齢縦割り保育ではなく、学年暦でクラス編成しています。ですから学年を意識して「おおきくなるっていうこと」を自覚するというのは、本園のカリキュラムにもなっていて、職員も意識しています。和太鼓、鼓笛隊演奏、囲碁などは年長児になってすることで、年少児たちはそれに憧れを抱いているのは知っています。しかし、職員にとって意外なところで、それを子どもたち自身が感じているというのを時折気づかされます。
この春、年長児になったM子が、家に帰って自慢そうに母親に言ったそうです。
「ねえ、Mちゃん今日そうじしたんだ。どこだと思う?」
「んー・・・どこ?」
「あのね、すごいよ」
「どこ?!」
「本堂!」
本堂の段々を雑巾がけするのはすみれの仕事です。小学生にぐらいになるといやになってくる「お手伝い」、大人もだるくなってくる「労働」それは子どもにとって特権でさえあるのです。
その頃、他の保護者さんから聞いた話です。
お母さんが息子さんにたずねました。
「すみれになって何が楽しみ?」
「本堂掃除!」
「仕事」が「自己有能感」に結びつくというのは当たり前のはずのことなのですが、「本堂掃除」が年長組を特徴づけるもののなかで、それほど園児たちに重きを置かれていることを知ってびっくりしたのでありました。