武器を捨て、腕力にものを言わせず、話し合う子どもー第33回園長通信

憲法記念日の今日、大人たちは今の憲法について、その内容や意義をちょっぴり考えたいものです。というのも、憲法改正議論が高まり、実際それが現実のスケジュールとなったとき、その可否は国民投票なので、私たち国民一人一人が、憲法を選ぶということになります。選ぶ際、何を基準に選ぶのか。その中に、今の憲法に対する理解がないとまともな選択はできないからです。

PTA総会の前にも少しお話ししました。今は子育てのしにくい時代であると。なので、世の中のこと、政治や社会のことにも関心を持ちつつ子育てをしましょう、と。

 

2015年9月17日参議院特別委員会での安保法案の可決の仕方を忘れることはできない。内容的に多くの憲法学者が違憲だという法案を通してしまう。内容の是非に関してはいろんな見方や利害関係があるだろうから、括弧にくくるとしても、数の力でしかも暴力的に強行採決するというあの手続きに関しては、内容の是非を超えて誰もが異議を唱えるべき事である。異議を唱えないなら民主主義などと二度と口走らないことだ。

私たちの国は民主的な国ではないと言うことを世界中に発信してしまった。あの採決を民主的な手続きであるという人はいるわけがない。

私たちは大人は子どもたちに顔向けができない。私たちが選んだ国の代表が、国のことを決める大事な話し合いの場で、暴力で物事を決めてしまった映像を子どもたちも目にしている。あの映像を見ている子どもに対して、あれは話し合ってるんだよといえる人がいたらお目にかかりたい。

その時の映像をご覧になってない方はたとえばこちらを

https://www.youtube.com/watch?v=77t3cHzuUyE

 

われわれが選んだ恥ずべき社会はこのままでいいのか。2015.9.17は過去ではない。あそこから始まった現在が未来へのびようとしている。私は、あの日を過去にして、新しい現在を築き、そこからのびる未来を描きたい。どうやって?

あのときほど、話し合いということの大切さを痛感したことがない。そして、世の中には話し合いにならない人が結構多い。そういう人の共有点は聞く耳を持たず自分の主張だけすること。話し合いができる社会をどうやって作っていくのか。私の今の仕事は園長だ。それなら園長として、話し合いをたいせつにする園を築くことが、まずもってできること、しなければならないことだと考えた。

すでに教育理念「聞思」のもと大人も子どももよく聞くこと、そこからはじまるコミュニケーションを大切にしてきた。

加えて、昨年はっきりとしたことが一つ。

お集まりの意味である。出席確認や情報伝達などの役割があるがそれだけなら、教師主導の一方通行で事は足りる。しかし本質的な目的は対話である、と教職員間で自覚されてきたのだ。かくして、新たなびさいスタンダードが定まった。すなわち、

対話としてのお集まり。対話のためのお集まり。

そんな折に書いた園長通信です。

 

22cをむかえるためにvol.33話し合う子ども docx.pdf

 

 

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